こんにちは。
百合蔵と美句蔵です。
今回は3回目☆
カテゴリーの「百人一首で美文字」で書いていますので他の記事も合わせて読んでくださいね★
Contents
はじめに
なぜ「小倉」百人一首と呼ばれているのか??
それは、藤原定家が編さんしたものが元祖と言われ、その後作られたものと区別するために、小倉百人一首と言うようになったからです。
和歌(短歌)は、「五七五七七」の三十一文字(みそひともじ)の、日本特有の形式の詩です。
もともと和歌は、長歌・短歌・旋頭(せどう)歌・片歌などの総称でしたが、短歌以外は、すたれていき、和歌といえば短歌のことを指すようになりました。
小倉百人一首は、藤原定家が、京都・嵯峨野の小倉山荘という別荘で編さんしたことから名付けられました。
定家の日記『明月記』には、友人であり、息子の妻の父でもあった宇都宮頼綱(うつのみや よりつな)から、別荘の襖(ふすま)に貼る色紙を作ってほしいと頼まれた、とあります。
つまり、元祖百人一首は、ふすまの飾りのために、作られたものだったということですね。
今回の歌について簡単な解説
今回の歌は、
■「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」
【意味】
奥山で散り敷いた紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を聞くとき、とりわけ秋が悲しく感じられる。
【解説】
”奥山”:人里離れた奥深い山。
雄鹿が求愛の際に鳴く声は、秋の風物詩でした。
古今集の時代には、紅葉を踏み分けているのは鹿ではなく作者自身と解していましたが、藤原定家ら後世になってからは踏み分けているのは鹿であるという解がなされています。
作者は猿丸大夫(さるまるのたいふ/さるまるだゆう)。三十六歌仙の一人です。
■「鵲が 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」
【意味】
鵲が渡したという橋に置いた霜が真っ白になっているのを見ると、夜もふけたということだろう。
【解説】
”鵲”:カラス科の鳥のこと。かささぎと読みます。
かささぎが七夕の夜、天の川に翼を連ねて橋を掛け、織女を渡したという伝説を元にしています。
作者は大伴家持(おおとものやかもち)。小倉百人一首では中納言家持となっています。三十六歌仙の一人で、万葉集を最終的に編集したのは家持とも言われています。
※一番実用性があると思いますので行書と楷書の間くらいの字で書いています★
■実践■練習■
⑤奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき
このような感じになりました。
5、7、5、7、7で改行して書いています。
最初の「奥山」は、「奥」の横線、「山」の縦線を強調するような感じで書きましょう。
「声」をきれいに書きたい所。1本足で立つような字なので、バランスを意識して書きましょう。前に転んで見えないようにしましょう。左のはらいは、空間を使ってきれいに書きましょう。
「悲」は、「非」の部分は右側を大きうするように書きます。「心」は横広に書いて「非」をしっかり支えましょう。
漢字が多いです。ひらがなは漢字の単語等を繋いでいます。流れを演出するように書いてみてください。
⑥鵲が 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
このような感じになりました。
今回は、5、7、5、7、7で改行して書いていますが、最初の5、7を1行にしても良いです。
自分が書きやすい方で良いと思います。
「鵲」は、しっかり書こうとすると、固く見えてしまう字です。少し柔らかさを意識して書くと、ひらがなやほかの字との調和がとれると思います。
「置」もカクカク見えてしまいますので、同じようにやわらかく、角を取って書くようにしましょう。
ひらがなはのびのびと書きましょう。
特に「く」や、「け」は線の美しさを出すように、すーーっとペンをリズムよく動かくように書いてみてください。
まとめ
楷書の場合は、線をまっすぐに書いて、しっかり止まって直角に曲がったりする方が良いのですが、今回は、今回は少し崩して、リズムを出して気持ちよく書ける方がいいので、やわらかく書いています。
行書まではいかないのですが、ひらがなになじませて書きました。
百首書き終わった時に、絶対字がうまくなっていると思うし、頭も良くなっていると思うし、感受性豊かな人になっているはず★
さて、次に行きますよ~♪