こんにちは。
百合蔵と美句蔵です。
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はじめに
10回目まできました☆1/5まですすみましたね!
だんだん書き方にも慣れてきたのではないでしょうか。
真似をすることってとっても大事で、まちがいなく上手になる早道です。
しかし、自分で納得できたりとか、こういう風に書いてみたいというものがあればアレンジしてかいてみてくださいね。
まずは基本をしっかりとやらないと意味がないことは確かです。
しかし、「書」はテストではないです。自由に書いていい物だということも覚えておいてください★
今回の歌について簡単な解説
今回の歌は、
■「難波潟 短き蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや」
【意味】
難波潟の蘆の短いふしの間のようなほんの少しの時間にも、遭わないでこの世を過ごせと、そうおっしゃるのですか。
【解説】
”難波潟”:大阪付近の海の古称。
”みじかき”:蘆ではなく、「ふしの間」にかかる。
”蘆の節の間”:蘆の節と節の間はつまっていて短いことから、時間の短さとかけている。
”あはで”:逢わないで。
”過してよとや”:「過してよ」で「過ごして欲しい」、「とや」は「とおっしゃるのですか。」との意味。
作者は伊勢。平安時代の女性歌人で、三十六歌仙の一人です。
■「わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢わむとぞ思う」
【意味】
こうして思い悩んでいる今となっては同じこと、難波の澪標のように、この身をほろぼしても貴方に逢いたい。
【解説】
”わびぬれば”:「わび」は心に思い悩むこと。
”今はた同じ”:「はた」は「また」。
”難波なる”:難波にある。
”みをつくし”:船の道標として水中に立ててある澪標と、「身を尽くし」とかけてある。
後撰集の詞書に「事いできて後に京極の御息所につかはしける」とある歌です。
京極の御息所は藤原時平の娘褒子で、宇多天皇の妃です。
この歌は二人の関係が露顕してしまい、遭うことが出来なくなった今となっては身を滅ぼしてでも逢いたいという強い気持ちを詠んだ歌です。
作者は元良親王(もとよしてんのう)。平安時代の歌人・皇族で、陽成天皇(13番歌)の第一皇子です。
※一番実用性があると思いますので行書と楷書の間くらいの字で書いています★
■実践■練習■
⑲難波潟 短き蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
このような感じになりました。
5、7、5、7、7で改行して書いています。
1行目は漢字3文字。しっかりと書きました。
3行目は、流れを意識して軽めに書きました。「間」のモンガマエも行書にしてやわらかく書きました。
4行目の「世」は横線を強調するように書きましょう。しっかり横線を引いたら、真ん中に縦線をどーんと書くようにして、存在感を出しましょう。
5行目のひらがなが並ぶ部分は、きれいにさらさら書きましょう。「と」を小さ目に書いて「や」を大きく書くとおさまりが良く見えます★
⑳わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢わむとぞ思う
このような感じになりました。
5、7、5、7、7で改行して書いています。
この歌は書いていて気持ちが良いです。ひらがなと漢字のバランスが良くて書く事でいうと書きやすい歌だと思います。
この歌はひらがなをどれだけきれいに書けるか、が大事かなーと思います。
1行目、4行目はひらがなのみです。この2行は綺麗な曲線を書いて目を惹きたいところです。
細かく説明すると、
1行目は、「わ」と「れ」の変化を付けましょう。似ている字ではありますが、右側に向かう線の角度を変えてめりはりをつけます。「ぬ」は小さ目に丸めるように書きます。「ば」は、少し横長に書くような感じで書きましょう。
4行目は「み」を大きく堂々と書きましょう。「み」以外は縦に(下に)下ろしていくようなイメージで書きましょう。リズムよく、強弱をつけながら下に下に書いていくようなイメージです。
5行目は「思」の心の部分を横長に書きます。「ふ」も空間を十分に使うような気持ちで書いて納めるようにします。
まとめ
今回は、ひらがなをきれいに書く事を意識して練習してみてください。
日常でもいつも使用するひらがなですので、普段から、少し丁寧にきれいに書こうと意識してみてください★
百首書き終わった時に、絶対字がうまくなっていると思うし、頭も良くなっていると思うし、感受性豊かな人になっているはず★
さて、11回目⑪へ進んでください★↓↓